日記なんて人様に見せるもんじゃなかろう(前書きにかえて)


別に人に見せる必要なんてないんだよね、日記。しかも人様の為にちょっぴり(ほんとはたっぷり) 脚色したりしちゃってさ。なんかさ、あさましいよねぇ、ドス黒いよねぇ、心。
ということでなんとなく日記について考えてみたよ。

というのはですね、すごいサイトを見つけてしまったからなんですよ。それはイギリスの作家、スー・タウンゼントの書く、Adrian Moleシリーズのファンサイト。この小説(邦題「モール君の大人は分かってくれない」日本では第2作目まで翻訳されてる)は主人公のAdrian Mole(以下エイドリアン)の日記という形を取っている。彼は日記に自作ポエム書き付けたり、そのポエムを放送局に送りつけたり、読書日記つけたり。 要するに、日本の女の子だったら絶対オリーブ愛読者系不思議ちゃん(死語?)っていう感じのイギリス少年の物語なわけですよ。

そしてこの小説のよいところはですね、作者の意地が滅茶苦茶に悪い所なんです。イタい奴は(エイドリアン)徹底的にイタいし、どうしようもない奴ら(エイドリアン父&母)は手の施しようもなくどうしようもないし、頭のいい子(エイドリアンの彼女パンドラはオックスフォード大学に進学)はものすごく頭がいい。そして物語のなかで状況は決して変わらない、年月だけが経っていく。イタイ人の目を通した日記が何年も何年も続くのです。何年も何年もぼけてる奴はぼけているのです、決して覚醒なぞしない、エリートはエリート、階層はずっとつきまとってるし。でも小林多喜二っぽくなく、ドライな感じで淡々としてるんすよね。読者がいちいちツッコミ入れながら読むのを作者は期待して書いているとしか思えないんす。

そんなこんなでこの小説はわたしの80年代後半から90年代前半にかけてのイギリス入門書&人生の指南書だったわけです。そして、他人の日記を読むことの面白さも知ったわけです。

そして年月は経ちました。私はある本に出会いました。会田誠の「青春と変態」。MY生涯のベスト10にかならず食い込む、そう絶対食い込む。そういうお話です、そしてこの小説も日記の体裁をとっておりました。

部活でのスキー旅行の4日間、主人公会田君は期間限定で日記を書くことを思い立つんだ、その日記がこの小説。会田君自身の趣味嗜好のドロドロさ(趣味がトイレ覗き)と高校生のスキー旅行(女の子とのプラトニックラブ)というさわやかシチュエーションとのギャップ。女子トイレに忍び込んで人の気配にドキドキする心と、好きな女の子と言葉を交わすときのドキドキ。このギャップと二つのドキドキの違いは日記という形式で、そして一人称で語られることによってより鮮明になって私の心を引きつけるんだ。そして悲しい結末。ラストでもうたまんねぇと何回も思いました。何回も読みました。せつなくなりました。他の人は同意してくれませんが。


エイドリアンは自分を「才能が有るのにチャンスがないだけ」と思いこんでる。会田君は自分を「どうしようもない奴」だと思いこんでいる。2人とも実際に存在して、近いところにいたら凄く厭だけど(会田誠自身はとても大好きっす。近くにいたいっす)、2人ともなんとなく親しみが涌く人物だし、感情移入したりしてしまう。遠くから(あくまでも遠くから、近くはやだ)応援したくてしょうがなくなっちゃう。
その理由がこの2つの作品がともに日記物だからだと思うんです。そしてきっと今の私に何らかの影響をあたえたんだろうねぇ、とこのごろしみじみ思うんです。



つまりこの文章は私のページに日記しかないことのいいわけなんですね。そのうちちゃんとなんか書いたり、圧縮したりするよ。長島ナオトのページにでもするよ。だから「インフラの無駄づかいだ」なんて文句垂れないでくれ。おねがいさ。



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