ニジンスキー、50年ぶりに奥さまと一つ屋根の下

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産経新聞によりますと、ディアギレフとともにバレエの歴史を変えたロシア・バレエ団のトップダンサー、ワスラフ・ニジンスキーのお墓に20日、奥様のロモラの遺体が約26年ぶりに移されました。故セルジュ・リファール氏(ロシア・バレエ団最後の男性スター、その後はパリ・オペラ座の芸術監督&エトワールであった)がロモラとニジンスキーの同居(というのか?)に強行に反対していたため、今まで別々のお墓で過ごしていたのだそう。

このたびリファール氏の奥様がニジンスキーの娘タマラさんらの長年の要請を受け、お墓のお引越しに同意した模様です。

ちなみに、リファール氏の師匠はニジンスキーの妹ニジンスカ。そしてローラン・プティのお師匠さん。

ニジンスキーは、1911年にディアギレフにより創設されたロシア・バレエ団のトップダンサーとして大活躍。『バラの精』『ペトルーシュカ』などを次々と演じ、人気者となります。ディアギレフは当時の一流プロデューサーで、ロシア・バレエ団はその後のバレエ・音楽に多大な影響を与えました。

が、1912年5月、ニジンスキー自身が振付を行った『牧神の午後』が当時にしてはあまりにもエロチックだったようで、パリは一大センセーション。ディアギレフはおかんむり。で、翌1913年、ニジンスキーは彼の半おっかけのロモラとディアギレフに無断で結婚してしまうのですが、それがきっかけでニジンスキーはロシア・バレエ団を解雇されてしまいます。

その後、精神のバランスを少しずつ崩し始めたニジンスキーは、療養所を転々としながら1950年60歳で亡くなります。現役生活8年で、療養生活は30年強なのですから大変です。ロモラさんも介護は大変だったようで。。

まあ、ディアギレフやリファールから見たら、ロモラさんは究極のさげまんなんだろうなあ。
でも、お墓ぐらいいっしょに入れてあげてもいいじゃん、とは思うのですが。

ちなみに、お墓はモンマルトル墓地にあります。

Posted by moyo at 2005/01/22(sam) 10:20 PM [ダンス , ニュース ] | Hatenaブックマークに追加 |

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コメント

今、パリのtheatre de la villeで公演しています、友達に「パリ ノ ルール」を送ってもらい、とても重宝しています。そして今、公演している演目も「牧神の午後」「春の祭典」ニジンスキーのお墓を探していたら、載っていました。早速、今日の午後にでも、行ってみようと思います。情報、ありがとうございます。

posted by: masa-tigerさん
2008/04/ 5(sam) 06:56 PM
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